2025年2月5日 この範囲を時系列順で読む
2025年2月4日 この範囲を時系列順で読む
2025年2月3日 この範囲を時系列順で読む
2025年2月2日 この範囲を時系列順で読む
2025年2月1日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月31日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月30日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月29日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月28日 この範囲を時系列順で読む
では、彼の敵はどうして待ち伏せができたのか? その理由付けがちょっと弱いと感じて、第二幕にはまだ手を付けていない。いや、プロットを作ってからしばらく経っているのでこんがらかっているだけか……?
2025年1月27日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月26日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月25日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月24日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月23日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月22日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月21日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月20日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月19日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月18日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月17日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月16日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月15日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月14日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月13日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月12日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月11日 この範囲を時系列順で読む
>132
ただ、学問を教えたという事実はなかったとしても、ヴィテーズ・ヤーノシュは父ヤーノシュのブレーンでもあったわけだから、マーチャーシュがまだ父のもとにいたころに接点はあったかもしれないし、なんらかの知的な影響を与えていたかもしれない……という想像くらいは許される気がする。
のちのエステルゴム大司教、ヴィテーズ・ヤーノシュが幼いマーチャーシュの個人教師だったという説は、現在ではあまり支持されていないみたいだ。のちにトルコへの姿勢を巡って対立した両者だから、師弟関係にあったとすればドラマチックではあるけれど……。
ただ、学問を教えたという事実はなかったとしても、ヴィテーズ・ヤーノシュは父ヤーノシュのブレーンでもあったわけだから、マーチャーシュがまだ父のもとにいたころに接点はあったかもしれないし、なんらかの知的な影響を与えていたかもしれない……という想像くらいは許される気がする。
2025年1月10日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月9日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月8日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月7日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月6日 この範囲を時系列順で読む
第一幕③続き。ウサギが横切ったせいで見つかりそうになるロージャだが、かろうじて難を逃れるという展開。
この展開は、1857年にロージャが逮捕された際の実在のエピソードをもとにした。現実のロージャは追い詰められて疑心暗鬼に陥り、古い馴染みのカトナ・パールが自分の隠れ家を漏らしたと思い込んで彼を殺してしまう(実際はウサギを追ってきた猟師が偶然ロージャの隠れ家に近づいた)。
今書いているフィクションは1853年が舞台で、このとき隠れているのもカトナ・パールのタニャとは無関係の場所なんだけど、ロージャには現実とは異なる結末を与えたいので、現実の歴史との分岐点という意味であえてこのエピソードを借用した。カトナ自体は今書いている話にも登場する。
2025年1月5日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月4日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月3日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月2日 この範囲を時系列順で読む
2025年1月1日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月31日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月30日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月29日 この範囲を時系列順で読む
第一幕②の途中。ロージャの仲間として登場させるのは、この時期行動をともにすることが多かったらしいヴェセルカ・イムレとキシュ・バーチ、オスノヴィッチ・イシュトヴァーンの3人。ロージャの弟のアンドラーシュや、ロージャ・ヨージェフ(ロージャのおじと同名だけどたぶん別人だろう)は登場させなかった。
それはそうと、わたしの小説にイシュトヴァーンさんとイムレさんが登場するのは今回が初めてで、ちょっと感動している。愛称ピシュタさんとか、「これがイシュトヴァーンとかイムレといったありふれた名前なら話は別だが」みたいなやり取りは出てくるんだけども、「聖イシュトヴァーンのなんちゃらかんちゃら」がそれなりの頻度で出てくるために、オリキャラ人名としては使いにくい。
……ご贔屓の名前がレアとはいかないまでもそこまで多数派じゃなくてよかったなあと。
2024年12月28日 この範囲を時系列順で読む
ダイ&バランと超魔ハドラーが戦ってるっていうのに、場の状況は明らかに「バーンはヤバい、キルバーンもヤバい」になっている。一人だけトゥルーマン・ショー状態になっているハドラーがほんと気の毒だ。その一方で、ダイがヘルズ・クローの一撃で負傷した直後、バランに蹴っ飛ばされるハドラーには(笑うべきシーンじゃないのに)ちょっと笑ってしまう。
……ところでヒュンケルってどうやって死の大地に来たんだっけ? 前もってクロコダインがガルーダに命令していたか、あるいは獣王遊撃隊のパピィに運んでもらうくらいしか考えつかない。ダイ大の時代にはキメラのつばさって人間側には残っていないんだったよな。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月27日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月26日 この範囲を時系列順で読む
ヒュンケル対バラン、そこに横槍を入れてくるアルビナス。「強大な力同士がぶつかりあえば、それは凄惨な殺しあいにしかならない」ことを悟り、修行に励んだ結果が無刀陣ということだよね。バランがヒュンケルの行動にどれだけ心を動かされたのかということは、直後の「クロコダイン、わたしはどうすればいい」にも表れている。「どうすればいい」だよ、バランが! しかし、ヒュンケルがラーハルトの遺志を継いでいることを強調するなら、二人の対決やお互いを認めあう場面はもう少し時間をかけて描いてくれてもよかったな、と思うのは、わたしが「強敵と書いてともと読む」関係に疎いからなのだろうか。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月25日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月24日 この範囲を時系列順で読む
うーん、ノヴァの噛ませ犬感よ。かと思えば戦いの直後に一気にギャグ顔&鼻水コンボの憎めないキャラに。ダイ大は自分の弱さを省みることができ、意地を見せる登場人物にとことん優しいけど、まさか最終的にロンとの師弟関係に落ち着くとは思ってなかった。
チウ対フェンブレンで、「そっか、チウの血は青いんだった」と思ってしまうわたし。絶体絶命のチウたちをバランが助けるってなんだか奇妙な絵柄だけど、その奇妙さが効果を生んでいるのかもしれない。以前のバランがおおねずみやバピラスやマリンスライムを助けたか? いや、見捨てていたかもしれない。そんなふうに思わせることで、バランの胸中に生じた微妙な変化を表しているのかも。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月23日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月22日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月21日 この範囲を時系列順で読む
バラン戦のとき、ヒュンケル役の梶さんが「実況はヒュンケルとクロコダインでお送りします」とジョークを飛ばしていたけど、死の大地での超魔ハドラー戦は実況キルバーン、解説ミストバーン(ただしあまり喋ってくれない)、ゲストピロロ、みたいになっているのに笑ってしまう。
ダイが氷の海に消え、ポップが冷静に逃げを打つシーンはダイ大の中でも特に好きなシーンのひとつだ。キルバーンは巧妙にポップを煽ろうとするけれど、ポップはパーティの魔法使いとしてあえて逃げるという判断を下し、そこに元因縁の相手のクロコダインが駆けつける。以前敵同士として死闘を繰り広げた二人だからこそ、クロコダインはポップが怖気づいて逃げたわけではなく必要に迫られてそうしたのだということがわかる……ストーリー構成の妙だよなあ。三条先生の本、買って読んでみようかな……。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月20日 この範囲を時系列順で読む
マーチャーシュ王(れきしじょうのすがた)は鎧を着て馬に乗って戦場へ行った人なんだから、いくらなんでも白兵戦の訓練をこれっぽちも受けていないということはないだろうなあ、という考えでいる。子供のころから人文主義者としての教育を受けて、学問に親しんでいた本好きではあるけれど、幅広の川を泳いで渡ることもできたというからには体も鍛えていたんだろう。軍事知識も学んでいたというから、将来は兄のように父とともに戦場へ出向き、ゆくゆくは軍団を指揮することを期待されていたのじゃないか。フニャディ家は成り上がりの身分なのだし、ツィレイ家の娘と婚約したことからも、家のことは兄に任せて弟は勝手気ままに学問を……なんて立場ではなさそうに思える。それにはやっぱり白兵戦の訓練だって必要だ。
てなわけで、本邦の光圀や吉宗が武士であったのと同じくらいにはマーチャーシュ王も騎士(よい家柄で、訓練を積んだ重装備の騎兵くらいの意味で使った)だったのじゃないかと思うんだけど、どうか。
2024年12月19日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月18日 この範囲を時系列順で読む
見た目の直接のモデルになったのはおそらく現クルジュ=ナポカ市の騎馬像だろうけども、鼻筋や頬骨、顎のラインなんかよく描写される王の特徴を捉えているし、目もとの穏やかだけど笑っていない感じも「これこれ!」となる。せりふの節々に自分が王であることへのこだわりが覗いているのも、自身の権威を絶えず示し続けなければならなかった事情を踏まえているのだろうし、指導者としての能力も傭兵による常備軍の強さと維持のきつさをよく表している。
学問や書物に関する特性がないのはちょっと残念だけど、開発側も「多才な人物なのでどの部分にフォーカスするかとても悩んだ」と言っていたし、ゲームに落とし込む上での妥協と解釈している。そもそも、ハンガリーの指導者としてこの人物が選出されたのも「徴兵システムにもっと光を当てたい」という開発側のニーズと合致したためだろう。もしもマティアスに別衣装(笑)が存在したら、「ルネサンス王」といった具合で文化面に特化した鴉の王も見られたのかもしれない(見たかったよお)。
貧しい農夫が巨大なカボチャを見つけて、王への贈り物にした。王は大層喜び、農夫に褒美として金を与えた。農夫はその金で雄牛を買い、おかげでずいぶん楽に畑仕事ができるようになった。
別の男がこれを見て、一計を案じた。彼は裕福で、おまけに美しい仔馬を持っていたので、この仔馬を王に献上して自分もご褒美を貰おうと考えたのだ。王は「こんな美しい仔馬は見たことがない!」と喜んで、男を例の巨大なカボチャのところへ連れていくとこう言った。
「どうだ、すばらしいカボチャであろう?」
「はい、王さま。こんなすばらしいカボチャは見たことがございません!」
おべんちゃらを言う男に、王はすかさず次のように言った。王の統治はかくも公正なものだったからだ。
「そうか! では仔馬をくれた礼に、このカボチャをそなたにやろう!」
ぐりとぐらなら巨大カボチャで素敵な料理を作ってくれそうだけど、ここでは欲をかいた男がカボチャでがっかり、という残念賞扱い。ハンガリー語には「カボチャ頭 (tökfej)」という悪口もあるそうなので、そうしたニュアンスもあるいは込められているのかもしれない。
#民話
2024年12月17日 この範囲を時系列順で読む
チウが出てきたとき、初見ではバダックさんよろしく「なんだコイツ」だったけど、彼が周囲にもたらすプラスの影響ってけっして小さくはないと思うのだ。自分が人間ではないことなんてたいしたことがないように思えてくるというダイ、そしてチウの根性を知って過去の自分を省みるポップ。ポップが過去の自分にはできなかったチウの戦いぶりを見て、今の自分が果たすべき「パーティの知恵者」としての観察眼・判断力を発揮するシーンには、ポップ自身の成長も表現されているし。
ランカークス村到着からロンに会いに行くあたり、あちこちカットされているのはとても残念。ダイの「理知的……あれで?」はコミカルなやり取りだけど、ダイが破壊と殺戮の化身となった竜魔人バランをごく当たり前に父親として受け入れている証左ともいえる好きな場面なんだ。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月16日 この範囲を時系列順で読む
ポップのメガンテに動揺するヒュンケルの声は、声優さんの「素」というよりもヒュンケルの「素」が出ているようでとても好き。クールぶってるけど中身は真面目な熱血漢で、そのことを声優さんも理解して演じているのだと思う。
父と子の戦い。ダイは「お前なんか父さんじゃない」と言いながらも、バランが去るときにはすでに彼が父であることを受け入れている気がしている。もちろんそれはバランがポップを蘇生させたことを前提としているけれど、バランを父と認めていなければ「わからずや!」なんて発言は出ないのではないかと……。
バランはバランで「今さら生き方は変えられん」とか言いながらも、息子を自分の思いどおりに束縛しようとする未熟な父親から、息子には息子の信じる生き方があるということを認められる成熟した父親へと内面を変化させている。ダイ大の好きなところのひとつは、その気になれば人はいつでも生き方を変えることができるし、それは子供も大人も人間もほかの種族も同じというところなんだよなあ。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月15日 この範囲を時系列順で読む
ハドラーはすっごく大好きなキャラクターとまではいかないけど、イケイケだった魔王時代のあと、アバンに誇りを砕かれたことや大魔王との邂逅によって本来の自信や野心を損なわれ、自分の手で勝ち得たわけでもない魔軍司令の地位に固執し、落ちるところまで落ちて初めて吹っ切れる……という見事な成長曲線に様式美を感じている。
それにわたしは、敵役がバーンのように超然としているのではなくジタバタ足掻くのが好みだから、中間管理職のような立場に置かれたりダイがバランを倒すことを願ったり、そういう卑近で小者っぽい姿を見せるのもいい。あのダメダメな時期を経ての「オレを舐めるな大魔王」「骸が動いたのだ」だからね、嫌いになれるわけがないのよ。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月14日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月13日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月12日 この範囲を時系列順で読む
そういえばあの本は、《フニャディ・ラースロー》に対して「まるでドニゼッティのようだ」とか「国民オペラのいかがわしさの典型」といった厳しい評価を下していた。エルケルがドニゼッティに影響を受けていることは広く指摘されているようだし、「いかがわしい」もわからないではないけども、《フニャディ》よりあとの《ドージャ・ジェルジ》なんかは音楽の方向性が結構変化しているように聴こえるのよな。シロウトの耳だけど。
#オペラフニャディ
2024年12月11日 この範囲を時系列順で読む
バランの変身シーン、何度見てもすごい。何話か前にほかの回と比べて妙に動きの少ない回があったけど、ひょっとしてこのためにスタッフの力を温存していたのだろうかと思うほどだ。
ヒュンケルの説得が逆にバランの竜魔人化を招いてしまったのは、それが正論すぎるからかなと。一度は闇に堕ちたヒュンケルの言葉には実感がこもりすぎているし、人間に対する相反する感情を持つ者同士、バランはヒュンケルに自分の本心、つまり人間に対する憎しみが半ば八つ当たりであることを見抜かれていると感じたのではないだろうか。もしかしたら、もう一人の息子と目し、悲しい過去を打ち明けるまでに信頼していたラーハルトがヒュンケルに思いを託したことにも、このときのバランは「裏切られた」と感じていたのかもしれない。
竜の騎士とはいえ「人間」の要素は持ちあわせているわけで、人間の心が象徴する弱さや人を愛する心もバランの中に初めからある。だからこそ彼は自己の心の矛盾に耐えられず竜魔人化を選ぶ。それは現実から目を背ける行為にほかならないのだけど、そういう格好悪い心のあり方も含めて、後々のダイはバランのことを素直に自分の父親として受け入れているんだよな、と考えるととても感慨深い……。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月10日 この範囲を時系列順で読む
竜騎衆が登場したところ。旧版アニメではここまで描かれなかったから、今もなお未知の領域に突入したかのような感動がある!
このあたりのバランは息子を思いどおりに動かそうとする独善的な父親そのもので、絶望的な強さと人間的なちっちゃさのギャップがとてもいい。速水さんがこういう人間味あふれる演技をする人だとは思っていなかった(あと「バラン万丈の」みたいなことを言うキャラだとも思ってなかった。なんだよそのかろうじて思い浮かびましたみたいなギャグ)。
逆に、今でも違和感を拭えないのが石田さんのラーハルト。なんだか無理をして喋っているような印象があるし、ほかに適任の声優さんがいたんじゃないかと思ってしまう。終盤の再登場あたりまでいけば少しは感じ方も変わるだろうか?畳む
#ダイの大冒険
2024年12月9日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月8日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月7日 この範囲を時系列順で読む
ある貧しい男が死んだ。男の家族が細々とした葬式を挙げているところを見かけたマーチャーシュ王は、王妃ともども正装して男の葬式に参列した。すると人々は、王と王妃が参列するからにはさぞかし立派な人物が亡くなったのだろうと思い、一人また一人と葬列に連なった。こうして貧しく死んでいった男は、最期に多くの人にその死を惜しまれるという栄誉に与ったのだった。
これはこれでいい話なんだけど……同じ作り話なら「金を払わなければ葬式はしない」と言い放った悪徳司祭が金を払った王の命令で自分自身の葬式も挙げることになる前者のほうが、おはなしとしてのおもしろさがあると思う。
#民話
ある女が道端で涙にくれていた。通りかかった王がなぜ泣いているのかと尋ねると、女は夫が死んでしまったのに金がない、司祭は金を払わないと葬式を挙げてくれないのだと答えた。そこで王はあわれな女に金を恵んでやり、この金で司祭を呼び、棺桶をふたつ買うようにと言った。女は王に感謝し、司祭が呼ばれ、こうして無事に葬式がおこなわれた。葬式が終わると、その様子を見守っていた王は居合わせた人々に命じ、欲深い司祭をもうひとつの棺桶に押し込めて葬ってしまったのだった。
これとほとんど同じ話がロージャ・シャーンドルにもあるそうで、虐げられた民衆の恨みを晴らして正義を回復する役目が、15世紀の国王と19世紀のアウトローという一見共通点のなさそうなふたりに与えられているのはおもしろい。
#民話
2024年12月6日 この範囲を時系列順で読む
この時期、コッシュートはロンドンにいたようだ。マジャル国内のコッシュート派がロージャとの接触を試みたという話もあるそうだから、活用しようと思う。
2024年12月5日 この範囲を時系列順で読む
ヒュンケルに対するレオナの裁決に、マトリフが「パプニカも持ち直すかもな」と呟くシーン。かつてマトリフが王宮の重臣たちにうんざりして隠遁したことを思えば、とても希望に満ちたシーンだ。
ダイ大の根底には「力ある者は恐れられ、迫害される」というのがあって、そのことがダイにあのせりふを言わせてしまうことになるけれど、少なくともダイの周辺の人物たちはそうではない未来を築いていける人々として描かれているよな。いわば若い世代であるアバンの使徒だけでなく、脇役キャラにも種族の垣根を越えた友情や敬意がたくさんある。クロコダインとバダックさんはもちろん、クロコダインがアキームを「死なせたくない」と感じるのもそうだし、ポップ父とロンもそうだ。ブラスじいちゃんとロモスの兵士たちが和やかにチェスを指しているシーンなんかもね……。現実では絵空事でも、ダイ大の世界では「過去には対立や断絶もあったけど、ダイが守った世界においては人々も魔物も協力しあって平和を作っていく」という解釈がしたい。畳む
#ダイの大冒険