カテゴリ「そのほか」に属する投稿[84件]
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2025年3月17日 この範囲を時系列順で読む
たぶん同じ意見を持っている人はほかにもいると思うけど、この期に及んでのゴロアのシーンが付け足し感満々に見えてならない。バランがダイを「自分とは違う竜の騎士」として認め、ダイが双竜紋に目覚め、ゴメちゃんのあのシーンに繋がる伏線がまたひとつ提示されるという重要なエピソードではあるんだけども。そもそもゴロアというキャラクターがポッと出だし、ポップ、マァム、ヒュンケル、アバンがダイのために敵を引き受けた以上、こっちはもう「残るはバーン戦のみ」という気分でいるわけで……。かといって、前述した重要エピソードをほかのどの場面で盛り込むかというと、確かに難しい問題だよなあ。畳む
#ダイの大冒険
2025年3月16日 この範囲を時系列順で読む
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2025年3月1日 この範囲を時系列順で読む
ザボエラの最期。最後まで卑劣で哀れな敵役として散っていくザボエラのキャラクター、そして動けない敵にとどめを刺すという汚れ役を務めるのがクロコダインであるという、いろいろな意味で感慨深い回。バダックさんとクロコダインのシーンはそこまで多いわけではないのに、この二人のやり取りはつくづくいいなあと思う。
バーンパレスではしばらくヒュンケルのターン。よくよく考えると、このあたりはヒムの覚醒、ヒュンケル最後の戦い、ラーハルトの復活と贅沢な流れなのに、戦う敵が半分冗談みたいなマキシマムというのはどうなんだ? 玄田さんがいつもの玄田さんすぎて笑いながら観てたけど、このあたり笑うようなシークエンスちがう!畳む
#ダイの大冒険
2025年2月27日 この範囲を時系列順で読む
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2025年2月21日 この範囲を時系列順で読む
キルトラップの中で、もはや打つ手なしと絶望するダイとポップをハドラーが嫉妬するシーン、味方側のBGMが流れるんだね(アバンのテーマなのかな?)。声優さんの名演もあって、ぐっと来る最期だった。
でもこの一連のシーンのどこが一番好きかって、ハドラーはアバンの仇なのに(少なくともみんなそう信じてる)、ダイはハドラーの武人の魂に感銘を受けて一騎打ちに応じるし、ポップはハドラーと親衛騎団の中に自分たちと同じものを見て情にほだされるというところ。ダイ大の世界において、憎しみを超越したところにある生きざまは、敵も味方も、人間も魔族もなく通じ合うものなのだろうなあ。畳む
#ダイの大冒険
2025年2月20日 この範囲を時系列順で読む
2025年2月17日 この範囲を時系列順で読む
本編を読んでいたころは甘っちょろい描写全般がいやで、ポップが自分の恋する相手の名を告白してしるしを光らせるという展開が好きじゃなかった。大魔王を倒すという公的な目的のために、だれそれが好きという私的な告白を強いられているように思えたし、好きな女の子の名前を明かしただけで僧侶呪文を習得するのもありえないと感じた。以下は、最近になってこの場面について考えていること。
ポップの魂の光は勇気だけど、これはシンプルに「だれそれが好きだと告白する勇気」ではないはずだ。なぜならポップが直前まで悩んでいたのは、「自分は選ばれし人間ではなく、アバンの使徒にふさわしくないのではないか(だから、しるしを光らせることができないのだ)」ということだったからだ。
この考えはしるしが光らないことで初めてポップの意識に表出したけど、おそらくは元々ポップの中にあった感情じゃないかなと思っている。ロモスで一度逃げ出してしまった経験も、もしかしたらその劣等感を後押ししたかもしれない。マァムに自分の思いを打ち明けられなかったのも、そうすることでアバンの使徒としての仲間との結びつきが壊れてしまうと感じたからだ。フレイザード編のあとで「好き」の代わりに「すばらしい仲間」と言い替えたのも、きっとそういうことだったんだろう。
死に瀕したメルルに懇願されて「マァムが好きだ」と宣言し、結果的にしるしは光ったけれど、そう宣言すること自体が鍵だったのではないはずだ。メルルがポップへの思いを打ち明けられなかった理由を聞いたポップは、自分もまたメルルと同じであることを受け入れた。そして、マァムへの思いを口にすることで「選ばれし人間ではない」自分がアバンの使徒としての居場所を失うかもしれないという恐怖に向きあい、そして居場所を失うことを恐れる自分自身に勝った。
勇気というのは、何も恐ろしい相手に立ち向かっていくことばかりを意味するわけじゃない。自分の醜かったり卑屈だったりする内面を認めることも勇気だろう。戦いを通じて成長していたポップが乗り越えるべき最大の恐怖は、今や大魔王ではなく自分の内面の弱さだった。わたしは最近ではそういう見方をしている。畳む
#ダイの大冒険
2025年2月16日 この範囲を時系列順で読む
2025年2月15日 この範囲を時系列順で読む
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2024年12月31日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月28日 この範囲を時系列順で読む
ダイ&バランと超魔ハドラーが戦ってるっていうのに、場の状況は明らかに「バーンはヤバい、キルバーンもヤバい」になっている。一人だけトゥルーマン・ショー状態になっているハドラーがほんと気の毒だ。その一方で、ダイがヘルズ・クローの一撃で負傷した直後、バランに蹴っ飛ばされるハドラーには(笑うべきシーンじゃないのに)ちょっと笑ってしまう。
……ところでヒュンケルってどうやって死の大地に来たんだっけ? 前もってクロコダインがガルーダに命令していたか、あるいは獣王遊撃隊のパピィに運んでもらうくらいしか考えつかない。ダイ大の時代にはキメラのつばさって人間側には残っていないんだったよな。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月26日 この範囲を時系列順で読む
ヒュンケル対バラン、そこに横槍を入れてくるアルビナス。「強大な力同士がぶつかりあえば、それは凄惨な殺しあいにしかならない」ことを悟り、修行に励んだ結果が無刀陣ということだよね。バランがヒュンケルの行動にどれだけ心を動かされたのかということは、直後の「クロコダイン、わたしはどうすればいい」にも表れている。「どうすればいい」だよ、バランが! しかし、ヒュンケルがラーハルトの遺志を継いでいることを強調するなら、二人の対決やお互いを認めあう場面はもう少し時間をかけて描いてくれてもよかったな、と思うのは、わたしが「強敵と書いてともと読む」関係に疎いからなのだろうか。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月24日 この範囲を時系列順で読む
うーん、ノヴァの噛ませ犬感よ。かと思えば戦いの直後に一気にギャグ顔&鼻水コンボの憎めないキャラに。ダイ大は自分の弱さを省みることができ、意地を見せる登場人物にとことん優しいけど、まさか最終的にロンとの師弟関係に落ち着くとは思ってなかった。
チウ対フェンブレンで、「そっか、チウの血は青いんだった」と思ってしまうわたし。絶体絶命のチウたちをバランが助けるってなんだか奇妙な絵柄だけど、その奇妙さが効果を生んでいるのかもしれない。以前のバランがおおねずみやバピラスやマリンスライムを助けたか? いや、見捨てていたかもしれない。そんなふうに思わせることで、バランの胸中に生じた微妙な変化を表しているのかも。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月22日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月21日 この範囲を時系列順で読む
バラン戦のとき、ヒュンケル役の梶さんが「実況はヒュンケルとクロコダインでお送りします」とジョークを飛ばしていたけど、死の大地での超魔ハドラー戦は実況キルバーン、解説ミストバーン(ただしあまり喋ってくれない)、ゲストピロロ、みたいになっているのに笑ってしまう。
ダイが氷の海に消え、ポップが冷静に逃げを打つシーンはダイ大の中でも特に好きなシーンのひとつだ。キルバーンは巧妙にポップを煽ろうとするけれど、ポップはパーティの魔法使いとしてあえて逃げるという判断を下し、そこに元因縁の相手のクロコダインが駆けつける。以前敵同士として死闘を繰り広げた二人だからこそ、クロコダインはポップが怖気づいて逃げたわけではなく必要に迫られてそうしたのだということがわかる……ストーリー構成の妙だよなあ。三条先生の本、買って読んでみようかな……。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月19日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月17日 この範囲を時系列順で読む
チウが出てきたとき、初見ではバダックさんよろしく「なんだコイツ」だったけど、彼が周囲にもたらすプラスの影響ってけっして小さくはないと思うのだ。自分が人間ではないことなんてたいしたことがないように思えてくるというダイ、そしてチウの根性を知って過去の自分を省みるポップ。ポップが過去の自分にはできなかったチウの戦いぶりを見て、今の自分が果たすべき「パーティの知恵者」としての観察眼・判断力を発揮するシーンには、ポップ自身の成長も表現されているし。
ランカークス村到着からロンに会いに行くあたり、あちこちカットされているのはとても残念。ダイの「理知的……あれで?」はコミカルなやり取りだけど、ダイが破壊と殺戮の化身となった竜魔人バランをごく当たり前に父親として受け入れている証左ともいえる好きな場面なんだ。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月16日 この範囲を時系列順で読む
ポップのメガンテに動揺するヒュンケルの声は、声優さんの「素」というよりもヒュンケルの「素」が出ているようでとても好き。クールぶってるけど中身は真面目な熱血漢で、そのことを声優さんも理解して演じているのだと思う。
父と子の戦い。ダイは「お前なんか父さんじゃない」と言いながらも、バランが去るときにはすでに彼が父であることを受け入れている気がしている。もちろんそれはバランがポップを蘇生させたことを前提としているけれど、バランを父と認めていなければ「わからずや!」なんて発言は出ないのではないかと……。
バランはバランで「今さら生き方は変えられん」とか言いながらも、息子を自分の思いどおりに束縛しようとする未熟な父親から、息子には息子の信じる生き方があるということを認められる成熟した父親へと内面を変化させている。ダイ大の好きなところのひとつは、その気になれば人はいつでも生き方を変えることができるし、それは子供も大人も人間もほかの種族も同じというところなんだよなあ。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月15日 この範囲を時系列順で読む
ハドラーはすっごく大好きなキャラクターとまではいかないけど、イケイケだった魔王時代のあと、アバンに誇りを砕かれたことや大魔王との邂逅によって本来の自信や野心を損なわれ、自分の手で勝ち得たわけでもない魔軍司令の地位に固執し、落ちるところまで落ちて初めて吹っ切れる……という見事な成長曲線に様式美を感じている。
それにわたしは、敵役がバーンのように超然としているのではなくジタバタ足掻くのが好みだから、中間管理職のような立場に置かれたりダイがバランを倒すことを願ったり、そういう卑近で小者っぽい姿を見せるのもいい。あのダメダメな時期を経ての「オレを舐めるな大魔王」「骸が動いたのだ」だからね、嫌いになれるわけがないのよ。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月14日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月12日 この範囲を時系列順で読む
そういえばあの本は、《フニャディ・ラースロー》に対して「まるでドニゼッティのようだ」とか「国民オペラのいかがわしさの典型」といった厳しい評価を下していた。エルケルがドニゼッティに影響を受けていることは広く指摘されているようだし、「いかがわしい」もわからないではないけども、《フニャディ》よりあとの《ドージャ・ジェルジ》なんかは音楽の方向性が結構変化しているように聴こえるのよな。シロウトの耳だけど。
#オペラフニャディ
2024年12月11日 この範囲を時系列順で読む
バランの変身シーン、何度見てもすごい。何話か前にほかの回と比べて妙に動きの少ない回があったけど、ひょっとしてこのためにスタッフの力を温存していたのだろうかと思うほどだ。
ヒュンケルの説得が逆にバランの竜魔人化を招いてしまったのは、それが正論すぎるからかなと。一度は闇に堕ちたヒュンケルの言葉には実感がこもりすぎているし、人間に対する相反する感情を持つ者同士、バランはヒュンケルに自分の本心、つまり人間に対する憎しみが半ば八つ当たりであることを見抜かれていると感じたのではないだろうか。もしかしたら、もう一人の息子と目し、悲しい過去を打ち明けるまでに信頼していたラーハルトがヒュンケルに思いを託したことにも、このときのバランは「裏切られた」と感じていたのかもしれない。
竜の騎士とはいえ「人間」の要素は持ちあわせているわけで、人間の心が象徴する弱さや人を愛する心もバランの中に初めからある。だからこそ彼は自己の心の矛盾に耐えられず竜魔人化を選ぶ。それは現実から目を背ける行為にほかならないのだけど、そういう格好悪い心のあり方も含めて、後々のダイはバランのことを素直に自分の父親として受け入れているんだよな、と考えるととても感慨深い……。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月10日 この範囲を時系列順で読む
竜騎衆が登場したところ。旧版アニメではここまで描かれなかったから、今もなお未知の領域に突入したかのような感動がある!
このあたりのバランは息子を思いどおりに動かそうとする独善的な父親そのもので、絶望的な強さと人間的なちっちゃさのギャップがとてもいい。速水さんがこういう人間味あふれる演技をする人だとは思っていなかった(あと「バラン万丈の」みたいなことを言うキャラだとも思ってなかった。なんだよそのかろうじて思い浮かびましたみたいなギャグ)。
逆に、今でも違和感を拭えないのが石田さんのラーハルト。なんだか無理をして喋っているような印象があるし、ほかに適任の声優さんがいたんじゃないかと思ってしまう。終盤の再登場あたりまでいけば少しは感じ方も変わるだろうか?畳む
#ダイの大冒険
2024年12月7日 この範囲を時系列順で読む
2024年12月5日 この範囲を時系列順で読む
ヒュンケルに対するレオナの裁決に、マトリフが「パプニカも持ち直すかもな」と呟くシーン。かつてマトリフが王宮の重臣たちにうんざりして隠遁したことを思えば、とても希望に満ちたシーンだ。
ダイ大の根底には「力ある者は恐れられ、迫害される」というのがあって、そのことがダイにあのせりふを言わせてしまうことになるけれど、少なくともダイの周辺の人物たちはそうではない未来を築いていける人々として描かれているよな。いわば若い世代であるアバンの使徒だけでなく、脇役キャラにも種族の垣根を越えた友情や敬意がたくさんある。クロコダインとバダックさんはもちろん、クロコダインがアキームを「死なせたくない」と感じるのもそうだし、ポップ父とロンもそうだ。ブラスじいちゃんとロモスの兵士たちが和やかにチェスを指しているシーンなんかもね……。現実では絵空事でも、ダイ大の世界では「過去には対立や断絶もあったけど、ダイが守った世界においては人々も魔物も協力しあって平和を作っていく」という解釈がしたい。畳む
#ダイの大冒険
2024年12月3日 この範囲を時系列順で読む
2024年11月30日 この範囲を時系列順で読む
2024年11月29日 この範囲を時系列順で読む
フレイザードの悪党ぶりは徹底していて好きだ。ただ「敵役だから」という理由ではなく、そのキャラが何を望んで残酷・狡猾に振る舞うのかというのが伝わるから、フレイザードやザボエラのような存在が輝いている。噛ませ犬とのそしりもあるガルダンディーやボラホーン、マキシマムあたりも出番がもっと多かったらさらに印象的なキャラクターになっていただろうか。
今回ふと疑問に感じたこと。バランは「軍団長がダイという少年に次々と倒された、ハドラーも総攻撃に踏み切るほどの相手らしい」というところで何か察するものはなかったんだろうかと思った。バランの性格なら、「もしもディーノが生きていたら、今ごろは○歳になっているはず」と折に触れて考えていても不思議はないし、クロコダイン、ヒュンケルを打ち破った少年という部分で「もしや……」と思い至ってもべつにおかしくない。畳む
#ダイの大冒険
2024年11月28日 この範囲を時系列順で読む
2024年11月27日 この範囲を時系列順で読む
クロコダインがヒュンケルに対して口にする「おまえは見てみぬふりをしている」発言。昔は何気なく読んでいたけど、今ではヒュンケルというキャラクターを理解するうえで大切な部分じゃないかと思うようになった。
このころのヒュンケルって洗脳されているわけでも芯から悪に染まりきっているわけでもなく、為すすべもなく父を失わなければならなかった怒りとやるせなさをだれかにぶつけずにはいられない状態。かといってアバンの人柄を知っている以上(獄炎での描写が楽しみ!)、アバンを憎むにも憎みきれないし、そもそもアバンを憎むことが筋違いであることも心のどこかで理解している。だからこそ、その怒りを「人間」という漠然としたものに転嫁せずにはいられない。
魂の貝殻によってバルトスの直接の仇がハドラーであることを知り、バルジ島での戦いではハドラーを父の仇と見なす発言もしているけど、それ以降のヒュンケルが特にハドラーへの怒りを表明しないのは、時を経て彼が自分自身と向きあうなかで、かつての自分を衝き動かしていたものは父の死や無力な自分へのやるせなさと怒りであって、特定のだれかに対する憎しみではなかったことに気づいたからなのかもしれない。畳む
#ダイの大冒険
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