趣味で取り組んでいるハンガリー語の勉強について書いた文章です。
数年前、お遊びで「やりたいことリスト」を書いてみたことがある。当時は家族の介護がつらすぎて、軽い現実逃避をしたかったのだと思う。リストの内容は、その気になれば簡単に実現可能なものから、来世でもなければ無理だろうなと思えるようなものまでいろいろだった。
そのなかに「ハンガリー語を勉強したい」というのがあった。
実在のハンガリー王に惚れ込んで、ハンガリーを舞台にした小説を書いているくらいだから、元々ハンガリー語への興味はあった。白水社から出ているテキストも1冊持っていた。小説のなかに、ハンガリー語のちょっとした言い回しを登場させることができたらお洒落だと思ったからだ。
でも、本気で勉強したいという思いはなかった。あのころ、とてもそんな気持ちの余裕は持てなかったし、やがて介護に区切りがついてからは、大変だったころのことを思い出すのもいやになった。パソコンに保存しておいた「やりたいことリスト」は二度と見返すこともなく、消してしまった。
そんなある日のこと、書きかけの小説のとある場面で、こんな会話を書いた。
「朝のお声がけ? 〈おはようございます〉のお声がけ?」
「はい。ですが、ハンガリー語ではなく、ドイツ語でです」
ここでうっかり、付け焼刃の知識で「おはようございます」に「ヨー・ナポト・キヴァーノク」とルビを振ってしまった。朝の挨拶は「Jó reggelt kívánok(ヨー・レッゲルト・キヴァーノク)」なのに……偉い人に朝のお声がけをするのに「こんにちは」はない。
やらかしたことに気づいたのは、12月の末のことだった。小説の原稿は、とっくに入稿したあとだ。
だれに読ませるわけでもない小説だ。それでも、授業の初日で習うような朝の挨拶を間違うのはきまりが悪い。そもそもこの場面は、どうしてもルビが必要な場面じゃない。たいした理由もないのに余計なものを付け足して、それが間違っているなんて、ダサいもいいところだ。
あーあ、こうなったら真面目にハンガリー語を勉強するしかないんじゃない?
冗談半分に心の中で呟いたものが、年末のどこか浮ついた空気にあてられて、気がつけば新年の抱負みたいなものになっていた。わけがわからない。たぶん、自分としては半分おふざけ気分だったと思う。
というわけで、2026年1月1日、ハンガリー語の勉強を始めた。
家にあったテキストは『ハンガリー語の入門 [改訂版]』という、初歩から中級までをカバーする分厚い本で、ちょっととっつきにくさを感じた。幸い、同じ白水社から『ニューエクスプレスプラス ハンガリー語 [音声DL版]』という入門書が出ていたので、こちらを買って基礎を固めることにした。
初日はまずテキストにざっと目を通して、ハンガリー語で使うアルファベットの種類や、動詞が主語や目的語によってあれこれ変化することや、母音調和といった要素の存在を知ることから始めた。自分が呑み込みが悪いことは嫌というほどわかっているし、英語の授業は中学校の1学期で早々と挫折している。だから、「焦らず、頑張りすぎず、ぼちぼちと」を合言葉にやっていこうと思った。
外国語学習には、明確な目的が必要だという話をよく聞く。
でもわたしは、「現地の人と会話したい」だとか、「難しい本を読みこなしたい」といった高い目標は持っていなかった。せいぜい、「子供向けの絵本のような簡単な本を読めるようになったら素敵だな」とか、「マーチャーシュ王についてネットで調べものをするとき、(もちろん翻訳ツールを使うことになるけれど、ツールを使用するうえでの)ちょっとした手助けになればいいな」くらいに考えていた。
で、気がついたら8か月続いている。わりとしょうもない動機と低い目的意識から始めたはずだったんだけど。
このごろは体調が悪い日も多いので、テキストを開く元気がないことも多い。そんな日は「最低限、単語の復習だけやればOK!」と自分を甘やかしてモチベーションを保つ工夫をした。単語帳も購入して、Ankiというアプリに随時単語や言い回しを追加していく。アプリのプラグインで音声も楽に追加できるから、復習だけなら寝そべっていてもできる。
入門書は今現在、4周目をやっているところだ。テキストの例文を音声で聞いてそれを書き起こし、知識のあやふやな個所を確認して、自分でも音読してみるというのをおもにやっている。まだまだ全部理解したとはいえないから、当分入門書との付き合いは続きそうだ。
自分も声に出して発音できなければ音声を聞きとることはできない、と気づいて始めた音読だけど、やってみるとこれが案外楽しい。独り暮らしで家にいるとほとんど口を開くことがないから、いい刺激になっているのだと思う。同居人に気を遣う必要もないし、いいことづくめだ。最初はうまく発音できない文章も、何度もやっているうちにすらすらと読めるようになると、嬉しいものだ。
もちろん、行き詰まることもある。文法で詰まったとき、自力で解決しようにも限界はある。日本ではハンガリー語はメジャーな言語とはいえないから、英語や中国語のように、ネットでピンポイントに疑問を解消するのは難しい。そんなときはAIの力を借りている。わからないところを噛み砕いて説明してもらうこともあれば、自分の書いた短い文章が適切かどうかチェックしてもらうこともある。AIはやたらとこちらを褒めちぎってくるものの、楽しく続けるためにはこれくらいの緩さがわたしにはちょうどいい。
息抜きも必要。現在はDisney+に加入していて、すでに何度も観て内容をよく知っている映画をハンガリー語の字幕や吹替に設定して観ている。この表現はこういう場面で使うというのがわかって、理解の助けになる。
ただ、半年以上も続けて、少しは上達したかというと、途端に首を傾げたくなる。入門書を周回するたびに地道に力がついていく実感はあるし、知識は着実に蓄えられていっているはずだ。それでもどこか、レベルアップしたという実感が持てない。
AIにそのことを相談すると、「現在の勉強方法はインプットが中心なので、自分にどれだけ実力がついたのか見えにくいのでは」という回答があった。確かに、わたしはほとんどアウトプットというものをしていない。現在の勉強方法はテキストが中心だ。
AIが勧めてくれたのは、日常生活の中でハンガリー語をどんどん使ってみるということだった。外国語で独り言を言うというのは、わりと有名なアウトプット方法らしい。そんなわけで、家の中で一人でぶつぶつ言っている。気を抜くと、「疲れた(Fáradt vagyok.)」「具合悪い(Rosszul érzem magam.)」ばかりになる。もっと前向きなフレーズも口に出すために、新たな語彙を探す。存外真面目に学びと向き合っているらしい自分の姿に、思わず笑ってしまう。
勉強する目的は相変わらず曖昧なままだけど、同時に、せっかく始めたのだからもっと上達したいという気持ちも生まれている。これから先も、趣味としてマイペースに楽しんでいけたらと思う。